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吉田屋呉服店 吉田行男氏インタビュー

奥武蔵まごころリレーインタビュー 第2回

株式会社吉田屋呉服店
代表取締役 吉田行男
地元への恩返しと、家訓でもある「三方よし」の精神で、
飯能の活性化のために、何かユニークで、
面白いことはできないかとつねに考えていますよ。
でも一番面白がって楽しんでいるのは私かもね(笑)。
株式会社吉田屋呉服店 吉田行男
株式会社吉田屋呉服店
代表取締役 吉田行男

創業は明治7年とお聞きしていますが?

そうですね。慶応4年(1868年/9月に明治へ改元)に『鳥羽・伏見の戦い』を皮切りに、全国へ広がっていった戊辰戦争で、 この辺りでも『飯能戦争』があったのですが。当家はその復興期にこの地で旅館として商売を始めたと聞いています。 しかし、残念ながら、記録として残っていたのが明治7年からしかないのでね。旅館から呉服屋になったのは明治40年です。 私で4代目とされていますが、正確には5代目。2代目が32歳で早世したものですからね。

私は生粋の「飯能っ子」で、飯能幼稚園、飯能第一小学校・中学校、川越高校を卒業して、武蔵野美術大学で日本画を学び、 お隣の日高市の高麗川中学校で4年ほど教鞭を取った後、家業の呉服店を継ぎました。


生粋の「飯能っ子」の目から見て、この街は昔と変わりましたか?

吉田屋呉服店

駅周辺の風景は随分と変わりましたが、周りの自然豊かな山も、森も、川も基本的には昔のままだですよ。 大学の恩師が飯能に来られた際に「急激に変わろうとしないところがいいね」と仰ってましたが、その通りですよね。 それに、飯能の気質というか、昔からの人情もまだまだ残っていますから。でも、私がまだ幼い時に色町として栄え、 所沢や川越などの近在からも多くの方がやってきた頃と比べると、活気はなくなりましたかね。その頃の活気とまでは行かないまでも、 街をもっともっと元気にしなくてはね。


飯能の活性化に尽力されたことが認められて賞をいただいとか?

関東商工会議所連合会ベスト・アクション賞のことですね。 江戸時代からのこの辺りの産物であった西川材(江戸の西の川からくる材木)を使った絵馬型街路看板の設置、 飯能市指定有形文化財「絹甚(きぬじん)」で行われるイベント運営に協力してきたことが評価されたようです。 地元への貢献が認められた賞ですから、素直に嬉しいですね。

5月に大通り商店街の理事は後進に譲ったのですが、市の新しいプロジェクトで、街を歩いていてちょっと立ち寄って休憩できる、 トイレも併設した小さな公園「ポケットパーク」の設置のお手伝いなどをしています。 また、商工会議所の仲間たちと飯能の新名物「ザクロの里」づくりにも取り組んでいますよ、新しい物をつくるのは苦労も多いけど楽しいですね。



「ザクロの里」を飯能の新名物にしたい。
桜やつつじ、あじさいでは、余りにも普通でしょ。
吉田屋呉服店 吉田行男

どうして飯能の新名物が“ザクロ”なのですか?

飯能の新名物として、シンボルとなる木や花はないかと、議論を重ねた末に決めました。その理由は、桜やつつじ、 あじさいでは余りにも普通だし、他に有名な地域や街が沢山あるでしょ。飯能を本気で活性化させるためには、 他の地域にはない、ここだけのユニークで面白いものを考えなければね。でも、一番面白がって楽しんでいるのは私だったりして…(笑)。

具体的な活動としては、この近くにある真言宗の「観音寺」に、ザクロを手に持ち、子供を抱く「飯能鬼子母神」を建立したり、 街にザクロの苗木を植えたり、「ザクロ祭り」を開催したりしています。実は「観音寺」の宗祖である弘法大師が遣唐使として学んだ 長安(現在の西安)の市の花がザクロでね。「飯能鬼子母神」を建立する際には、西安にある「青龍寺」へ行って土を持ち帰り、 鬼子母神の御堂の下に埋めました。「飯能鬼子母神」は「ザクロの里」の象徴であると同時に、飯能と西安との友好の証でもある訳ですよ。


何故そこまで地元・飯能のために尽力なさるのですか?

観音寺

それは、地元への恩返しの気持ちと、家訓を守っているからですよ。 吉田屋は明治40年と平成11年の2度も火災にあっているのですが、その後の店の復興は地元の方々の支援や協力がなければ到底できませんでした。 まさか私の代で太平洋戦争の空襲からも免れ、残っていた店を全焼させるとはね。どうしたらいいかと悩んで6キロも体重が減りましたよ。 そんな時、地元の商店街や商工会議所の方々をはじめ、友人たち、元従業員の方に、どれだけ助けてもらったことか…言葉では表すことはできません。

また、私はおじいちゃん子で3代目の清三郎に可愛がられ、幼い頃から厳しくしつけられました。 彼は明治の男で、怒ると怖くて、悪いことをするたび、よく蔵に閉じ込められましたよ(笑)。 その清三郎から5つの家訓を叩き込まれたのですが、その中に「商いは三方をよしとする」というのがあって、 もとは近江商人の「三方よし」だと思うのですが、“売り手よし”“買い手よし”“世間よし”。 商いを長く続けていくには、店のある地元にも貢献しなければいけないのですよ。地元が元気になって、商店街に人々が買い物に来て、お店も潤うという訳です。

飯能には当店だけでなく、古くから地元に愛されてきた専門店が数多くあります。百貨店もいいけど、 もっと商店街の専門店も覗いて欲しいですね。ひいてはそれが地域全体の活性化にも繋がるし、 百貨店にはない専門店ならではの品揃えや魅力も知ってもらいたいですね。

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